学習意欲とか、なんというか。


そういえば、最近、長女がぜんぜん勉強していないな、と思った。時折、「音読、やったっけ?」とか「漢字や計算って毎日やらないと忘れちゃうんだよね。○○も忘れちゃったんじゃないの?」とか、ふっかけてみているんだけど、軽く流されている。


ピアノの練習やその進み方を見ると、やっぱり「やる気」なんだな、と思うし、親としてではなく、自分のこととして思えば、確かに、音読なんかやりたくない。ただ、フツウの勉強って、やっぱりやらないとさ...ぜんぜん危機感ないじゃん、って思う(これまた1年生に危機感ってどうよ、ともわかっているんだけどね)。


時折、Nやほかの塾からDMが届いたり、折込チラシを見つけると、興味があるみたいな長女。
おかんがNのバッグをしょっている子を見ると「ほら、これから勉強に行って、夜の10時とかに帰るんだよ」「休みの日も勉強だよ」と話していたり、あと、そうそう、たまに出かけるショッピングセンターの駐車場から、ちょうど向かいのビルにある、その塾の教室が丸見えで、びっちり座って勉強している子どもを、長女といっしょに見ることも何度かあって、それで意識しているんだと思う(<え、おかんが意識させてるってか??)。


そんな感じなんだけど、また長女が手にしていたオープンテストのチラシを見ながら話をしたら、「うーん、まぁまぁ上のほうだと思うよ」とへんな自信をチラリ(どっからその自信がくるんだ??なんの裏付けもないのにさ)。「じゃぁ、○組(小学校のクラス)だったら1ばん??」というと、「ううん、2ばんだと思うよ」とな。聞けば、Mくんはインド式計算をやっているのか、3ケタのかけ算をやっていたとかで「すごい!」と思ったらしい。そういえば、Mくんって、授業参観のさんすうで、文章題の解き方をやっていたとき、足し算の順番を入れ替えたらどうしてダメなのか、について、とても明確に説明していた、その男の子だった。なるほどねー。


脳力がみるみるアップするインド式計算練習帳

で、一応、おかんが持っていた本*1を渡しておいたけど。とりあえず、読みものとして読んでみれば?なんてね。おかんも買ってほったらかしだった(いかん!)。


先日の「お金」のこともしかり、毎日毎日言い続けている「お片づけ」もしかり、わたしが子どもたちに叱りつけていることは、そのまんま、自分にはねかえってきていることなんだけど、この「毎日こつこつ勉強」というのも、これまたしかり。そういえば、この1年くらい、毎日忙しくて、こつこつ家計簿記帳してられない。1〜3月までならともかく、この4月からくらいは、と思ったけれど、相変わらず、役員とか係の有無にかかわらず、忙しくしており...ほんと2週間まるまるためこんでつけていたり、現金あわせもやっていない。そんな状態だから、そりゃぁ、さー。


今日は、今週分をまとめてつけていたんだけど、その姿を見て、長女は「勉強する」と自主的に机に向かっていました。家計簿つけをいっしょに書類を書いていたりして、30分ちょっとやっていたんだけど、その間、長女は勉強、長男は読書していました。そういえば、以前はダイニングテーブルで家計簿記帳をしていると、長女も目の前で勉強していたんでした(で、それがキッカケで、一時期は日に1時間とか、トータルすると2時間近く勉強していたこともあったくらい)。いつも必ずそう、ってことはないとは思うけれど、やっぱりわたしが改めないとダメなんだ、と思いました。子は親を映す鏡、ですかね...。


@ @ @


期待している、といえば、確かにそうだけど、子どもに何を望んでいるのか?といえば、決して「できる子」ではないはず。あー、期間限定では「できる」ことを期待しているのかな。そして、ちょっとずつその期間を延長していくのかな。客観的には、いつかがっかりくるときがくる、って思っているし、今でもうちょっとずつ「変わっちゃった」と思うところはあるわけで。


桜沢エリカの「今日もお天気」で「条件付きの愛情なんですか!」と言われた話が出ていたけれど、かといって、なんでもあり、でもないだろうしね。少なくとも今のうちは気にしているだろうしさ、気にかけることだって愛情のひとつなわけで...それがすべてになってはいけないけれど。でも、いずれにせよ、難しいよね。楽しみながらお勉強!ってな具合に、親があれこれ工夫してお膳立てするのもなんだし、理想としてはみんな学びたい気持ちがあって、できる範囲でがんばっていく、ってところをお互いに見せる、ってことなのかなぁ。ふーむ。

*1:これ、[asin:4903853055:title]