感謝や敬意がなかなかむずかしい

今日は小学校でボランティア、交通安全教室のお手伝いに出かけてきました。一年と四年、もはや下の子の長男が五年となると、下の学年で小さいお子さんたち、ということで。
気になったのは、どちらの学年もかなりの威圧的な言動で子どもたちを並ばせていること。そのくせ、前で話す先生は、わざとらしく褒めながら、そうじゃない態度を抑制しようとする感じ。わざとらしさが半端なく、また後ろを回っている先生たち…おばさんの先生…の言葉遣いも悪く、命令口調。
気が緩むと学級崩壊、というのがあるのかと思えば、わからないでもないけれど、ほんとうにあのような扱われ方をして6年間を過ごす、と思うとゲンナリした。
そもそもオヤジの会ばかりに肩入れし、読み聞かせには冷淡な校長に対して、はなから敬意もないせいかもしれないけど、学校に行くと…少なからずガッカリする。
長女の学校が私学で中学という大きな違いがあるけど、ほんとうに伝統や教育方針が確かにあって徹底されていて、なおかつ、自主性を重んじているだけにいっそう酷さを感じるのもある。

長男の担任の先生は、ひとまずまだ若くて一所懸命、話す感じもとても頭がよい印象でしっかり…というのも失礼だけど、まだ25才の女性なので…宿題もきちんと続けてくれてよいのが救い。なんとかつつがなく過ごしてもらいたい。ひたすら祈るような気持ち。

夏休みを目前に

ほぼ小学校のスケジュールと同じ長女。夏休み早々、4泊5日の合宿に出かける。運動はしたくないが、かなりうらやましい。部活は、水・木曜が朝練あり、金・日曜以外が午後の練習あり。時間こそ短いものの、中1ならではの雑用が多々ある上に、先輩がたには「敬語」なわけで、いろいろと気苦労も多く、すごくぐったりしている。
前期の中間試験も本人いわく「甘かった」ということで、殆ど全科目が「想定外」の悪い結果だったらしい。だからいったじゃないの、という言葉を飲み込み、本人がやる気になって取り組むがいちばんだから、平均より上だったとか下だったとかでなく、今後のためにも苦手科目を作らないように、という話はしたんだけど、どこまでしみているのやら。

実際、入学前から本格的に塾に通っているお嬢さんも多々いらっしゃるし、クラスごとの懇談会では「理科のノートの取り方が」とか「英語の辞書は」とか、親が質問していた。受験から二人三脚で、という親子もいることだろうから、今、何をどのように勉強しているのかが気になるのは確かだろう。ほったらかしのわたしでも、体系数学とかプログレスがどんな教科書なのか、気にはなるけれど、それで子どもがどう勉強しているのか、というのはまた違う話のように思っているので驚いた。

その懇談会の席でもやたらと先生が「点数を見て驚かれないように」「長い目でお嬢さんを見守ってあげてください」などなど、成績やテストの点数が悪かったとしてもしばらくはぐっとこらえて、という話ばかりをしていた。そして、もともとそういう学校だけど、他人との比較(順位やら平均点など)を気にするのは本質と異なる、ということで、先生によっては平均点さえ伝えない先生もいるとか(わたしもいちいち聞かないので細かいことは不明)。模試の偏差値やら細かい分析を見慣れているであろう親御さんにとっては、他校のように点数、順位、平均点、得点分布の資料などがないわけで、そこは落ち着かないだろうな、とも思う。

入学当初は、慣れない学校・クラスメイト、電車通学だけでいっぱいいっぱい、やっと慣れたかと思ったら部活が始まって、本当に体力がおいつくまででも随分かかりそう。こんな中で塾に通って、宿題以外の勉強をするには、やはり部活そのものも選び方があるんだろうな。そう思うと、どこかモッタイナイ気もして、だったらしばらくは部活中心でもいいか、と思ったり。結局のところ、どうすべきかどうできるかは本人次第なんだし。お説教ではなく、話ができる状態だけはキープして、こちらの考えや価値観は伝えておきたいと思うけれど、それすら不要なんだろうなと頭では十分にわかっていたりもする。

母も学ぶ

クラス役員の集まり以外にも毎月なにかしらの見学の機会があって、しょっちゅう学校に足を運んでいる気がしますが、それだけでなく、月イチの聖書についての解説をうかがう場にも出かけています。宗教担当の先生の話をうかがう、ということなんですけれど、本当に興味深い。

その教室がとても古い建物で...いやはや、どこかなつかしい。来年には立て替えるとの話もあって少なからず残念。管弦楽部員の楽器の音が聞こえて、それもまた学校っぽい。

すっかりごぶさた

すっかりごぶさたしておりました。前回のエントリの後、塾の先生同士が仲たがいをして、塾が分裂。通学していた小学校のそばにあった塾から、出て行った先生についていくような形で隣駅にできた新しい塾に変わり、その後、受験に。

相変わらず、勉強をあまりしないまま、模試の成績もぱっとしないまま、少しずつ上がりつつあったのかもしれないけれど、横目ではずっとなんだかなぁという感じで。大晦日もガキ使を見ていたり(!)。成人の日の過去問演習で合格点マイナス20点を出してからはさすがに目の色が変わりましたが。

...それも今は昔。

いやはや、まだ3か月経っていないというのに。長女は第一志望校に奇跡の合格を遂げ(本人は当日緊張もせず、試験のデキに手ごたえがあり自信があったといっていたけれども)、すっかりその学校の生徒になっております。

かくいうハハもいわゆる「クラス役員」を引き受け、先日、第一回の顔合わせに出席。キリスト教の学校なので近所の協会を紹介していただいて日曜礼拝にも出かけ、これから始まる学校での聖書勉強会にも足を運ぶつもりで、やる気まんまん。


本当に不思議だ...。

もうすぐ新学年@塾

来週いっぱいで塾の授業は終わりになり、10日ほどの休みが終わったらいよいよ6年としての授業が始まる。これまでの週4日から週5日になり、日曜もテストや模試だとか忙しくなる。時間も長くなるだろうし、居残りもしかり。


相変わらず、早く寝ているなぁとか、宿題はやっつけで復習もほとんどせず甘いなぁと思っていたけれど、本人なりに少し勉強量は増えてきて、言わなくてもやる部分が増えてきた。必死さはまるでないのだけれど、それなりに「まずい!」と思ったのか、はてまた意識が出てきた、というのか。さすがにこの時期、1歳上の6年の様子を見ていれば、ってことも長女なりにあるのかもしれないな。


早いなぁと思う。もっとこうしたらよかったとかいう思いは、勉強面でも生活面でもたくさんあるけども。どうなんだかな。

当たり前のこと...

長女のクラスで「人間として幸せに生きていくために当たり前のこと10ヶ条」という話が出たそうで、学級通信に書いてあった。授業での教材としては有名?なのか、ネットで調べたら「教材」として見つかったけれど。

  1. 明るいあいさつをする
  2. なにかしてもらったら「ありがとう」を言う
  3. 使ったものは必ずもとのところへもどす ちらかしたら、自分で後片づけをする
  4. 人のものに手をださない
  5. 人をぶたない
  6. 人のめいわくになることをしない
  7. 悪いことをしたら「ごめんなさい」と言う
  8. ルールを守り、ずるをしない
  9. 食事の前には手をあらい、ごはんはよくかんで食べる
  10. よく遊び、よく学び、よくねむる

どうでしょうかね。先生だって親だってできてないんじゃないの(もちろん、わたしも含めて)、とやや自嘲的に。


あまり口数の多くない長女なので、しょっちゅう学校の話を聞くわけでもないし、たわいもない話も多いのだけれど、昨日聞いた話は、ある女の子が別の女の子のプリントをびりびりに破って捨てた、というもの。誰が『犯人』なのか、で、クラスをまたいで話し合いがもたれ、特別教室であったので、それからは「疑われないために、ばらばらに移動せず、並んでみんな一緒に移動する」という結論になったみたいで、長女はそこにプンプン怒っていたんだけども。

結局、破った子は別のクラスだったので、長女のクラスの人たちはあらぬ疑いをかけられて、なおかつ、不毛な結論に至る話し合いをさせられてしまったわけで。まぁ、それもひとつの経験だよな、というのもありか。

その破った子も破られた子も同じマンションの子同士だったり、どちらのお母さんも知っている人だったりするので、聞いたわたしもいろいろ複雑な心境。単に嫌いだったんだろうとは思うけど、それにしてもそういう行為をしちゃって、それが周囲にも知られてしまって、大したことじゃないかもしれないけど、大したことじゃないだけに、感情的にもいやーな気持ちになった。子ども同士だって、さすがに5年生の女の子ともなれば、というのもあるだろうしな。

表面的に「ずるをしない」「人のものに手を出さない」とかいうのも大事だけど、そういうことがあったときこそ...だけど、そこの部分を学校に求めるのは高望みなんだろうとも思ったり。

人のことを嫌ったりする思いがあって、意地悪をすることもあるだろうけど、そういうネガティブな感情を一時の衝動でやっちゃったことの影響をよく考えたほうがいいということを長女に話したけど伝わったかな。破られた子も傷ついたとは思うけど、破った子も自分自身で(無意識のうちにも)傷ついているわけだし、ましてや、『犯人』として周囲に知れて失ったものってかなり大きいと思う...表面的には大したことなくっても、とね。

その女の子のお母さん、懇親会などでも話したことがあるけれど...うーん、どうだかな。パパが子どもを甘やかすって話をしていたことを思い出したから、ちょっと余計に気になっちゃった。大きなお世話ですが。

上がったり下がったり。

バタバタと夏期講習も終わって、思春期真っ只中に入った長女は以前にもまして「このあたり」を自分にうまく課してサボっております。ほんと、そのサボり加減のラインをもう少し引き上げてもらいたいものです。むしろ、だんだん下がっている(自分に甘くしている)のではないか、と思うのが非常に残念。


夏前までは新しいクラスに慣れるのが大変そうだったから、だったけど、夏休みはオカンや他、家族がバタバタしていて勉強計画を本人任せにしっぱなしだったこと、暑さがひいてからは体調不良(アレルギーの鼻炎やそのせいでの中耳炎、夏の疲れなどなど)でだらーっとしていた、という感じの長女。


本人は以前よりも課題はやっているつもりなんだと思うけど、相変わらず、授業直前のやっつけ。テスト前もぱらぱらと見返しているけれど、一夜漬けですらない軽い復習で、にもかかわらず、それなりにキープしているのはすごすぎるとも思うんだけど、さすがにいちばん課題の少ない理科にしわ寄せがきて、まずいことになってきている。


塾の個人面談で、算数の先生と久しぶりにお話をさせてもらったけれど、本当に「的確」に見抜いていらっしゃって驚く。もちろん、外の、特に塾での姿と、これまでの性格や家での様子とは、感情のさじ加減やらが微妙に違うところもあったみたいだけど、「外でがんばっている」長女の姿については、よくわかりましたよ。ここにもかなり思春期の影が見えていて、なかなか単純にはならず、伝えたいことの伝え方について考えさせられた。当たり前だけど、単純に「勉強しなさい」「いやなら塾なんてやめてしまっていいんだから」とか、「今度、点数がよかったら何か買ってあげる」「自分のためなんだから」などなど、そんなレベルの話ではないなぁと。


しかも、長女の中に「さぼっている」という自覚は明らかにあって、絶対に何か言われるだろうというので、やはりドキドキしていたみたい。面談から帰ってきた日、長男は友だちと外で遊んでいて、長女とふたりでおやつを食べていたら、顔をちらちらっと見るので、そのたびに「ふふふ」と意味ありげに笑っていたら、突然、長女が泣きだしたのだった。きっと、帰るなり、お母さんからあれこれ言われるのかと覚悟していたのに、なにも言われないまま(しかも不気味に笑って)いられたりして、耐えられなかったんだと思う。本人もなんで泣いているのかわからないけど、号泣してしまったようで(おまけに、そのあと、熱が上がってしまったくらい)。


これではいけないんだとわかっているなら、次を考えようよ、という話をしてみたけど、どこまで伝わったのやら。自分のやりたいことや自分がどうなりたいのか、なんでもいいから考えてみたら、次にどうするのかが見えてくるのではないか、というのは話をしたけれど...さて。


@ @ @


やっぱり塾で言われることは「わたしがかつて言われたこと」にかなり共通する。得意なことなら勝負するけど、自信がないことには勝負しないとか、そこそこの努力で合格した学校に進んでほしくないとかね。長女の持って生まれた何かテーマがあるのなら、そこにわたしが持っているテーマと十分重なっているんだと思って、どこか「おかあさんができなかった分さらに」みたいなことってあるんだと、うすうす感じていたけれど、まさかこんなに自分とシンクロしてくるとは...むしろ、ちょっと怖いくらい。


わたしの人生を生き直すのが長女ではなくて、長女には長女の道を進んでほしい。だから、単純に「塾の課題をきちんとやりなさい」だとか、もっというと「がんばって自分の目標となる学校に合格できるようにしなさい」というのも、わたしのレールの上をしっかりなぞっているのではないかと思って、本当に深いところで考えさせられていて...やっぱり改めて長女に問題があるのではなくて、わたしに問題があるんだと思う。自分の課題を子どもに押し付けてはいけない、って改めて強く思った次第で...しばらく考えてみます。