まだまだ心決まらず。

来年2月始まりを控えて、長女の中学受験について、ずーーーっと思案中。考えてみたところで、何も決まらず。話を聞いても迷うばかり。そして、当たり前だけど、長女自身もなんだかわからない中で、迷っている感じ。来月の入塾テスト次第、というところもやっぱりあるのだけれど。


春からPTA活動に関われば関わるほど、学校に対して失望するばかり。保護者の中にもシンジラレナイ話を割と近くで見聞きする。いろいろ言われている子どもが多い学年だから、女の子だから、などなど、そういう面だけ見れば、我が母校であっても、地元の公立中に対しては気持ちが引いていく、んだけどね。


でも、同時に、ではどこの私立中に入れたいか?となれば、長女の学力もあやしいところだし、かといって、どこでもいいから私立、という気持ちもなくて。この便利な世の中なので、いくつかサイトを見て、その学校のサイトを見たりすると、それなりにいいなぁと思う学校もないわけではないけれど、本人が果たしてどこまで...というところで、堂々巡りだ。


ずっと「反対」だったオットとも、話してみたところ、要は、すべての意味合いで「本人次第」である、と。まずは、本人が(たとえよくわからないなりにも)塾に通って勉強してみたい、という気持ちがあって、かつ同時に、運動系の習い事も辞める覚悟があって、そして、親として「地元の公立中はいやだから」という後ろ向きな動機ではなく、あくまで「目標とする学校に行きたいため」という気持ちで受けさせる、ということを言われた。確かに、そうだよね...。


私立だからいいというのもないけれど、ある程度「選んで入った学校」というのには、それなりにご縁もあるのではないか、と、つい。そしてできることなら、やっぱりちゃんと勉強をして、部活もやって、というのは願ってしまうわけで。


具体的に「どこそこの大学に」なんてぜんぜんイメージすらわかないし、望むところもないのだけれど、それでも今後将来ますます大変なんじゃないのかなぁ、ということを感じていて。社会情勢がもっとばら色でのんびりしたものだったら、それはそれでいいのだけれど、わたしは不安というか、危機感がいっぱいで。
もともと自分のときだって、勉強しないでどうやって生きていけるのか、っていうのがずっと気がかりで、ちゃんとやらないと!と思っていたわけだけど、でも、そんなころより現在のほうがもっともっとシビアな世の中になっていると思うし。でも、きっとわたしが感じていた危機感なんてものは、境遇に由来するものだから、子どもたちには感じられないものでもあるわけで。でも、どこまでが「押し付け」なのか、どこまでが親の役目なのか、そこすらあいまいになっちゃっていて...というところで、今はこれを読んでいます(↓)。


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どう勉強させるか、みたいなところで、直接的間接的に親の役割ってあるのは確か。だけど、どこかで「親の受験」とならないように、とも思うし。ほんと難しいところで。まずは、親としてブレないところもないといけないけど、なんだか周囲にも流されちゃっているじゃん、みたいなところも気になるし(はー)。


オットとの違いで興味深かったのは、オットからしてみて心配なのは、長女ではなく長男なようで。わたしからすれば、長男も勿論心配だし、ちゃんと勉強してほしいんだけど、勉強だけでない何かたくましくやっていくことを考えないといけないし、どこかそれができるんじゃないか、と期待していたりもする。けれど、難しいのは、今の当人の様子もそうだし、男の子のほうなのかな、ともチラリ。ほんと考えてそのまんまいくわけじゃないけれど、とはいえ、考えないわけにもいかないし。うー。