「母」としてはどうしようかな??


長女の気がかり、といえば「適当すぎること」...入学してからは「忘れもの」、この夏休みは「毎日の課題」が、ね。一昨日は「音読」の件で、かなりくどくどと注意してしまった。昨夜は「生活チェック表」の記入自体やら集計やらがいいかげんだったしく(<超珍しく早く帰宅したオットに確認してもらった)、これまた、いろいろと思うところで...。


毎日こつこつとか、きちんと、というのができないみたいで...先生にも言われたことだし、親としては少しでも直してもらいたいと思っているんだけど、同時に、それに対して、いろいろと複雑な思いも存在しており...。まずは、なんとなく周囲の人たちの話を見聞きするにつけ、夏休みの宿題だもの(?)「やっつけ仕事」でいいのかもしれないなぁと思ったこと。せっかくの宿題なんだし、コツコツやりとげる訓練も必要なんだろうけど、決められた時間ギリギリになって要領よく仕上げる能力?もこれまた必要といえば、必要だしさ、まぁ、いいじゃん、それなりの期間内に仕上げられたら...っていうか、さ。


それに何より、本人が「やりたい!」「やらなきゃ!」と思ったことなら、やっているんだよね...。単に「嫌い・苦手だから(まったく)やらない」というのは困るけれど、本人が「音読」にはあんまり意味を見出せないらしいし、わたし自身、はげみ表の効力は認めるにせよ、こうもあれこれ「毎日○○チェック」みたいなものが(音読にせよ、生活リズムにせよ)あると、そこに○×をつけることが主たる目的になっちゃうような気がする。すぐになんでも「○×チェックリスト」を作ってすればいいや、っていうのは安直すぎるし、意味がないと感じてしまって、実は、客観的には、別にどうでもいいこと、みたいなところがある(親としては「どうでもいい」とは決していえないけれども!)。だって、風邪をひきたくないし、なんとなく気持ちがいいから、と本当に思えば、○×をつけなくても、うがい手洗いもするだろうし。何か目的がなかったら、はやおきもただつらいだけ、強制されてもなぁ、とも思ってしまうんだよね(あ、心の中だけで、ですけれども!<しつこい(笑))。


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親としては、先生にも言われたことだし、また夏休みも音読をやらせないでいたら「おかあさんがちゃんと見てあげてください。」ってことになるかなぁと思ったりもする。少なくとも、低学年のうちは「子どもがだらしないのは、イコール(母)親がだらしないから」なんてなるはず。わたしが悪く思われる?のはさておき(まぁ、それもいやだけど)、それで長女が「カワイソウ」って周囲に思われるのは、どっか違う気がするし、そういう「後ろ向き」な理由でなくても、どこまで親が介入するのか?と思うし、ね。

わたしだって「そういえば、最近、音読してないよね?」と訊くフリをして促したり(促されないけど!)、「音読するから聞いてください」と言われたら聞いているし(用事があったら「○○が終わったらでいい?」とか、そういう場合ももちろんあるけどね)、それ以上に「子どもが楽しく音読できる工夫」とかいるんかな??と思うと、そこまでしてやることでもないと思ってしまう。あんなに教育情情報誌も手にしていたけど、「そこまでして子どもに『勉強していただく』というのは、わたしの考えとは違う」と思ったところもある。


一応、「毎日こつこつ続けないと身につかない」とか「かんたんなところから少しずつ続けることで、難しいこともできるようになる」とかさ、「先生や誰かに見せるものは、見る人のことを思って丁寧に書く」くらいの注意をしておいたけど、これもどこまで伝わったのかな?ってところで。まぁ、これはちゃんと伝えたいけど。


あとは、「ちゃんとやってよね」という気持ちは強くあるんだけど、このくらいダメなところ、気を抜いているところがあってもいっか、と思ったりもする。すべてに頑張るなんて無理じゃん、っていうのもあるし、例によって、もしちゃんとやっていたら「頑張らせすぎではないか?やがて爆発するのではないか?」と、やたらと疑って心配する母になっていそうだなぁと思ったり。きっとどんな子どもであっても、親はあれこれ思って悩むのなら、「手のかからないいい子」ぶりを心配するより、「忘れものして困っているだろうに!」と心配するほうが、幾分かいいような気もしたりする(<ほんとか??)。


そして、長女にあれこれ言いながら、それってもしかしたら自分のこと??って思うところばっかりで、子どもを叱る前に、自分をどうにかせいや!ってことになるんだなぁと、最近つくづく思う。何よりその矛盾に、わたしなりの「良心の呵責」がはたらいており、ゆえに、こうしてあれこれ逡巡しているのかもしれませんが...よくわからないんだよな。