ヒサビサ爆発したけれど


もうぜんぜん部屋が片付かない。必ずしも子どもたちだけのせいにはないのは重々承知していますが、それでも、長女の机の上、長男のおもちゃ入れ、本棚、どこもかしこも紙の切れっぱし、折り紙、牛乳パック...それに、こまごまとしたおもちゃやら。かの幼稚園の子どもたちによく見られる特徴として(?)、工作好きというのがあるけれど、ウチも然り、大人からすれば紙くずみたいなものばかりが...。


長女は、いろいろなものを置きすぎて、机の上での作業が不自由になってきたほど。おまけに、テキストを見れば、ちっこいほうをぜんぜんやっていないことを発見!(=ぜんぜんおかんが○つけしてないってことだけど!)確かに、夏休みもぜーーんぜん勉強してなかったし、やっていたとしても「やっつけ」だったし、そりゃぁそうだな、ってところだけれど、だからといって、おかんが「勉強したっけ?」「テキストやった?」とフォローしてやらせるのも、どうだかなぁと思ってしまって。


思えば、音読やって、たまに宿題のプリントやって、ピアノの練習して、添削教材をやり、英語教室の宿題少々をやり...って、なかなか大変だと思う。ひとつひとつは、5分10分のことだけど、大人だって、いや、わたしだったら?かな、これをこつこつ毎日続けることは...だものね。その気持ちはよくわかる、わかるんだけど、かといって、適当でいいや、やっつけでいいよ、とも言えず。また同時に、いろいろとフォローして「やらされた」ってなっても、それはどうだか、という気もしたり。やっぱりバランスなのかと思うけれど、この線引きに対して、わたし自身が思う指針みたいなものがはっきりもてないわけで。


まぁ、聞けば、続けたいという長女。勉強したい、って言っていたし、ちょっとずつでも続けてくれよ。そりゃぁ、誰のために、といえば、決して親のためではなく、あくまで自分のために、ってことを忘れてはいけないけれど、とりあえず、ある程度、ちゃんとさ...って、その「ある程度」がまたどこで線を引くのやら。


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そういえば、ピアノでいっしょの人が、いっしょに部屋に入り、レッスンを横で見ていたら、家に帰ったときに細かくあれこれ注意して、できないとイライラして怒ってしまいそうだ、と冗談っぽく言っていた。わたしなんか、ピアノを習ったことがないし、恥ずかしながら、音楽の素養が一切ないこともあって、ピアノを習わせているものの、何かの到達点を設定しているわけでないから、ピアノが弾けなくて怒る、という感覚がぴーんと来なかった。勿論、遊びながら、とか、ヤル気なくだらだら弾いていたり、ぜんぜん練習もせずにレッスンを受けていたら、それは注意するかと思うけど、そこそこ練習していてできなかったとしても、そのことはなんとも思わないだろうな、って思ったというか。あまりに音楽に疎いせいか、すっかりレッスンについていけないわたし。ピアノに関して、長女は早くもわたしを超えました...あ、人格も超えているかもね。まじでね。


ピアノに限らず、だいぶ前に、スイミングに通っている子(年少か年中さんのときね)が、半年間、水に顔をつけられなかった、という話があって、「わたしだったら、そんなに待っていられない。できないままでいるのを何にも怒らない母が信じられない」と言っていた母がいたけれど、それも「へー」って感じだった(この母自体、いろいろと子どもに「〜できるよう」と強いていたから、わたしはそっちのほうが怖かったんだけどさ)。まぁ、スイミングは個人レッスンのピアノとは違って、進級があるから、ほかの子と比較しやすいんだろうとは思うけれど、「半年間・水に顔をつけられない」という具体的なことはさておき、ある程度、楽しかったらいいじゃん、って思ってしまったのだけれど...やっぱり投資した分、見返りが要る、ってことか。


これは、わたしが単に「音楽」「体育」といった教科に対して「趣味的な」感じにとらえているから??「能力」としては認めるけれど、それよりかは「楽しみ」だと思っているせい??とも思ったりするけど...ここらへんは自信がないかなぁ...でも、ただ、音楽にせよ、体育(運動)にせよ、やっぱり「特別な」って部分があるから、簡単に「このくらい」って思えない部分もあるかな...成果を求めるには、それ相応に資質もあるから、進度に差が出ても仕方ないや、というか。それに比べたら「勉強」は、それなりに頑張れば、それなりの成果が(少なくとも小学校くらいなら)出るじゃん、と思っている??いやぁ、これまた勉強向きの「資質」もあるのかもしれない、とは感じるけど。


わたしなら、「半年間、塾に通わせたけど、ちっとも学力が進歩しないわが子を見てイライラする」ってなるのだろうかな。目の前のことができない、できないなら努力して少しでも改善しなよ、ってことは思うかもしれないけど、それを強要するのもなんだかなぁ、と思うんだけど、どうなんだろうかな。


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長女は今、いささかムラはあるけれど、ピアノに燃えていて、ちょいちょい練習しているし、「うまくなりたい」「○○が弾けるようになりたい」と思っているのがものすごく伝わってくる。これって、本当にピアノがやりたいのか、はてまた先生との関係で、大好きな先生にもっともっとほめられたい、認められたい、って思っているのかな...たぶんどっちもそうなんだろうけど、どっちが多いかは微妙。


「習いたい」という気持ちをためてためて、ちょっとあきらめかけてすらもいたくらいにいた時期だったから、ぐわーんとできるようになったし、やる気もあるのかと思うけれど、なんか、今のこれで十分すぎると、おかんは思っていたりする。自分がでかけていって、満足できるところでいいかなぁ。できれば細く長く続けて欲しいし。勉強だって、近いうちに、やらなくなる・できなくなるような、そっちのほうが強いかなぁ。期待していないわけではないけれど、そうなったときも覚悟しているというか。まぁ、どっちでもいいか、くらいに思える母でいたい、というのは、本心。