はじめての通信簿


先週金曜日に長女が「はじめての通信簿」を持って帰ってきた。先日の懇談会にて「無印*1でもひどい評価ではなく、○があれば『がんばった』ということで、◎がもしあったらそれは『ものすごくがんばった』ということです。」とおっしゃっていたが、とりあえず無印はなく、◎も何個かあったものの、○の数を数えてどうこう、ということでもなさげだった。


横に記されているコメントもよくわかるようなわからないような。先生も、「1年生の、やっと文字が書けるかどうかの段階で、その子どもの表に表したところで理解しているかどうかを判断することはできないから」という言葉どおり、確かに、先生だって細かく評定できるほどの段階にいたっていないだろうな、とも思う。まずは、小学校生活になじんで、周囲に迷惑をかけず?、できることなら、ちょっと楽しみながら何かを得てくれたら、というところだと思う。


長女の場合、積極的に発言するほうでもないし、わかっていても挙手しないっていうのは、性格もそうだろうし、授業参観のときもそう。遊んでいるときでも思ったことをパッと言えるような感じじゃないし。そういうのも「◎」の数には影響しているなぁ、と思う。積極的態度、っていうのはないものね。


こんなものかなぁ、というか。客観的な評価というのも知りたいというのはあるし、そういうのは本人にとっても必要だと思うけれど、同時に、親(わたし)にとっては関係のないこと、っていうスタンスでいたい。子どもの学校の成績に、いちいち反応したりしたくない、というか。これは、わたしの育ての親が「学校の成績で態度(対応・処遇)が変わる」というのを見てきたせいかな。でもさ、誰のために勉強するんだよ、ってところを忘れてはいけないしさ、成績がよかったから何かを買い与えるとか、絶対にイヤだ(勿論、「わー、すごいね!がんばったんだね!」とか、そういう言葉がけはあったとしても、ご褒美は違うだろ、って思うわけで)。


いやはや、子どもの成長とともに、ますます、自分の育ってきた過程(家庭?)との違いやら、ゆがみやら偏りやら違和感やらを感じるね。何がよくって何がよくないって、単純に言い切れるものでもないかと思うし、程度問題かとも思うけれど...。フクザツな気持ちになるのは確か。

*1:評価は、「◎」「○」「無印」の3段階。長女の小学校の先生は「△や×をつけたくない」とおっしゃっていたが、同じ「市立小」でも「△」という評価があったり、通信簿の名称が違ったり、手書きだったり、パソコン入力だったり、実にさまざまだった。