通信簿、後日談


通信簿、「親のためではなく自分のために勉強した、その評価」でもあるし、「評価」としても、まだ1年生の最初じゃぁね、と思っていたので、そういえば、◎が何個あったっけ?ってくらい、印象に残っていないものだった。どうでもいい、というのではなくって、あまりにも「意識しないように」って自分に言い聞かせた、というか。


その後、話をあちこちでしていたら、クラスで「よくできる」とウワサされている女の子が「◎が5個」だった、ということとか、ひとつも「◎」がない子がいるんだ、というのも聞いた(○だけ、ということ)。で、ほかの小学校でも基本は「○(B)」で、「◎(A)」があったらよっぽどがんばったんだな、と思ってくださいと釘を刺されたんだそう。


よくできる子の◎は5個だった、と聞けば、確かに「長女はどうだったっけ?」と思ったりもしたんだけど、でもまぁ、ちょっと冷静になれば、こういう比較は「どうでもいいか」という感じ。いっしょに話をしていた母たちは、いろいろと言っていたけれど、自分には意外と興味がなかったことに気づいた。我ながら意外と。いつまでそういえるのか、ってツッコミも自分でしておくけれど。


後期は、前期よりも評価がゆるくなるんだそうで、だいたいの子が前期よりもよくなるんだそう。そういう傾向があること自体、評価って何かね?って気もあるし、もし、がくんと下がったら心配だなぁ、と思う。まぁ、◎や○の数よりも所見というか、コメントのほうが気になるし、それもまたクラスの先生によって「本当にウチの子を見ていてくれているな」と思う内容もあれば、何パターンか書いている文章のひとつ、と思われるような内容もあり、微妙なところ。長女のことについては、具体的なことは「長女固有」の事柄だけれど、その事柄に対する様子といえば、無難なこと、といってしまえばそうだなぁ、と思う。まぁ、もともと目立つタイプではないし、先生のそばにもあまり行かないほうだから、埋没するよな、と思うけど(ははは)。誤解さえされなければ、それでいいか、というところかな。