小学校母モード

今月初め、ヒサビサに小学校の懇談会に(遅れて)出席して、幼稚園の懇談会からはしごして出てせいもあったんだろうけど、なんだか「かの幼稚園モード」のまま「この1年」を振り返りながら...という話を始めて、話しながら『あ、やっちゃった。違う違う、ここは小学校だ!。』って感覚に苦笑いしました。

幼稚園だと「わが子の言動の中から気づいたことを広く園の子ども全体にまで視点を広げて」みたいな感覚が必要とされるし、簡単に言えば「うちの子が、うちの子は」という感じではなく、自分んちの子に限らず、いろいろな子どもたちがいることを自覚していますよ〜、ってなスタンスで話すんだよね。最初はとまどうこともあったけれど、おかげで、いろいろな子どもがいるってことが実感できたし、そういう視点を持つことができて、自分の子どもを見る目も変わったと思うので、単なるポーズやたてまえを超えたところでの「学び」もあったんだけどね。

でも、それをまんま小学校にもっていくと「うく」わけで。あくまで「ウチの子は」ところが主眼で、控えめながらも、そこによそのお子さんまで含めて話す必要もなく、また単純にしょっちゅう小学校に出かけたり、一緒なわけではないから、実際に、そこまでわからないから、「自分んち(と、せいぜい親しい)子ども限定」で話すだけでオッケー、なのだった。

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昨日、ヒサビサに小学校母の友達と会って、いろいろと話を聞いたんだけど、これまたやっぱり話の伝わり方・伝え方がぜんぜん違って、そこにはどうしても「うわさ話」という、なんだか後味の悪いものがあったり。悪口というのではないんだけどね、仲間うちでの話、というニュアンスが含まれていて、オープンではないからねぇ。で、またそういうところでの話だからというのもあるけれど、そこに出てくる人たち(母やら子どもやら先生やら)もいろいろなんだなぁ、というのが実感で。毎日出かけている幼稚園とは違って、名前だけ顔だけ知っていればいいほうで、実際、どんな人なのかもよくわからないことも多く、どうしても話が無責任というか、「へー」という感じで聞くしかないっていうのもある。同時に、わたしも話し出すと、そういうモードで話しちゃったりして、これまた帰宅後に後味の悪さがないわけでもなく...ほんと同じ物事でもどういうか、っていうのはあるなぁということを思ったりして。

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そうそう、先日の懇談会で、長女の小学校は2年生にあがるときにクラス替えがないため、来年度の役員の話が出ていて、一部決まったクラスもあったらしい。幼稚園も原則2年連続こそないけれど、下の子がいる母は除くとなると、結構、人が絞られてくることもあるし、2年ないし3年間のうちに、となると、「次は何を」って感じ。自分の趣味の集まりにともなれば、深刻な人手不足だから同じ顔ぶれでぐるぐると役や係をまわしている部分もあったりしてね...何もしないで参加するのは難しい状況だったりもするので、そんな感覚でいると、小学校では次は何をしようか、って思っていたけれど、そういえば「子どもひとりにつき1回(しない人はまったくしない)」って思えば、せいぜい長男が入学してそっちで(しかも1度だけ)やれば、もう何もしなくてもいいんだった(ははは)。

うそや誇張して話すつもりはないんだけど、やっぱり「その場の空気が読める」ことが何よりも大事とされる昨今においては、ということを思えば、話の構成だとかトーンだとか、そういう話し方ってば工夫が必要だと思った。同じことを伝えようにも、モードが違うまんま話したら、ニュアンスが異なって伝わりそうだし、余計なウワサ話に出されそう!って思うと、とっても怖いしさ。そこはやはりご近所のうわさ話に重なるところもあるわけで、気をつけないとねぇ...。

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子どもの教育に熱心、っていうのが違う方向に出てしまうと「モンスターペアレント予備軍」みたいな感じになっちゃいそうだし。いや、これもまた話を伝え聞いて、無責任に感じたことだったりするんだけど。なかなか小学校母としてはまだまだ慣れない部分が多く、ズレもあるのかもしれないなぁ、と思ったわけで、ハイ。