「入室」を考えたものの

たまたま某進学塾の無料テストを受けて、2月から始まる新3年生のクラスに長女を通わせようかと思ったのだけれど...結局、オットの反対を受けて...今では、その理由にも納得しているのですが...やめました。

小学校の授業がゆるゆるで、長女もどこか「こんなもの」と思っている様子。何より好きな教科は「体育と音楽と図工」と言うくらいで、そんな子どもはオカンの子どもではないよ*1と思ったんだけど、授業参観を数回見ても...なんだか気の毒になってしまった。小学校なんてそんなもの、なんだろうな、とも思うんだけど、なんとなく「たのしい」って気持ちがすっかり萎えてしまっているように思ってさ。

テストを受けた折に、どんな授業をやるかを説明会に出て、すっかり「いいなぁ」と。もともと「自分が行きたかった」わけで、それを長女におしつけてしまっている感が否めず、わたし自身気持ちのふんぎりがつかなくて、ぎりぎりまで引っ張ったのだけれど...長女は案の定、行きたいといっていて、半ば自分の中で「行くつもり」をぼんやり作っていた様子。結果、オット(おとうさん)の反対にあって、「宿題や音読だって毎日きちんとできないのに、この上、塾に通っても、どれも中途半端になってしまう」といわれ、しばらく泣いていました。

中途半端に気持ちをひっぱったオカンがいちばん悪かったのだけれど、まぁ、これで長女の中にも「やりたいと思えばなんでもできる」という甘い思いが消えてくれたらいいのかなぁ...なんて、傷ばかりになってしまったりして(まぁ、それも「あり」ですね)。

いやはや、春になれば、オカンも時間ができて、長女のお勉強も見ることができる...はず。私立中受験は考えたくないので...そうなったら、いろいろな意味において、オカンも全力投球となってしまう...そこまでの覚悟もなければ、私立中入学に意味を見出せない自分なので...これで「受験」の道はなし、ということで。きっとこれからも「いいなぁ」とは思うんだろうけどね。それは自分の「行けなかった」思いが吐くヒトリゴトのようなもの、ということで。


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でも、ほんと「自分が」行きたかったんだなぁと、つくづく。3年生のクラスは、受験に直結した授業というよりかは、自分でよく考えることができるようになるための、いわば畑を耕すような授業で...なんていわれると、だらけた長女にぜひ!なんて感じで思っちゃったわけで(自分と子どもを混同しているわけですな)。
塾の人には、1年通った後に改めて受験するかどうかを決めればいい、といわれたけれど、もう通った時点で基本的な路線は決まるだろうし...そうなったら、途中で自ら考えてやめたとしても、周囲からあれこれ言われてしまうこともあるだろうし...そういうことじゃないのかもしれないけどさ。

同じ試験を受けたお友達のお宅は、「パパは通わせてもいいって言っていたんだけど、子どもが『遊べなくなるから通いたくない』と言うのでやめた」んだそう。聞いて思わず笑ってしまいそうだった。いやはや、その家に生まれていればよかったなぁ、なんて。まぁ、それも仕方のないことだけれど。

中学受験をしない、ということは、基本的に、このまま「公立高校進学」になるような感じみたいね。できることなら、ちょっとでも「頭のいい」とされる高校に行ってほしいなぁ...大学は本人の気持ちがなければどうしようもないけれど、高校入学くらいまでは親の責任?みたいなところもあるじゃん...と思うし。でも、あんまりよくわからないなぁ、子どもにどうなってほしいかなんてさ。世の中もどうなることやら、っていうのもあるし(ふう)。

*1:わたしがいちばん嫌いな科目だから。