クレーム処理担当

昨日、同じ幼稚園だった友達とヒサビサに会って話をした。ウチと同じく、1年生&3年生の母(お友達宅は姉妹だけどね)で、ウチの長女が年少で入ったときからのお友達。


今年度の先生が...ということで、子どもが困っていることを連絡帳に書いたんだけど、どうもそれに対する反応が...ということ。よそさまのことだから細かく書けないんだけど、要は、物事の本質ではなくて、その問題提起した親に対して、どううまく「まるく収める」かどうか、というところに論点がいっちゃうことだった。


ウチも以前あったのだけれど、たとえば、隣の席の男の子にちょっかいを頻繁にだされたりして、それが本人もほとほと困った折に、先生に相談すると...「わかりました、○○(いつ)までに席替えします。」という感じ。まずは、その男の子に注意して、しばらく様子を見てみます、とか、そういうのではなく、話をしたほうに対して、迅速対応しました!みたいな、そういう感じ。


「ウチの子どもが...」と困っている相談をして、親として事情を知りたがったり、その先に何らかの対応を求めているとして、でも、その過程やら背景やらはそっちにおいといて、まずは結果が見えやすい対応を提案してきたり、相手の趣旨がわかるまでは反応を見せず、趣旨が計りかねる折には「では、お母さんはどうしてほしいのでしょうか?」と聞いてくる感じ。


子ども(たち)のため、というのは二の次で、まずは親側の、もっというと、声をあげた親に対しての迅速なる対応が第一、というのがしばしば感じられるわけで。まぁ、うまい(?)先生は、そこらへんを「ものはいいよう」ということで、ちゃんと話ができたり、普段からの信頼感をどう築いておくかで、こういうときの対応も違ってくるんでしょうけれど。


でも、これって先生に限ったことではなくて、親同士の活動時においても、まずは相手が何をいわんとしているのかを探ってから、なるべく波風を立てないような妥協案を提示していく、みたいな、そういうやりとりをする人があちこちにいるわけで。物事の本質はどこにあるんだろうな、って思うんだけどね...問題をなるべく大きくせず、適当に解決する、というのが主になっているけれど、でもさ...みたいなね。


折り合いをつけることも大事だし、そこには妥協も含まれる場合が多いと思うけれど、最初っから相手に合わせるようなフリをしていく、っていうのは、なんだかなぁと思うけれど、それだけ、厄介な問題が頻繁に起こっている、ってことなんだろうなぁ...とも思うんだけど。


そういう状況をわかった上で、先生に話をするときやPTA活動の中でも意識しながら、でも物事の本質は自分なりにハッキリ思って話をする、ってことは大事なんだろうな、と思ったわけで。