使い分けているのか、毒されているのか。

子どもたちの小学校は、このあたりでは珍しく2年に一度のクラス替え。昨年までいっしょだったある男の子、長女も学習発表会でオットがまわすビデオカメラの前で髪の毛をひっぱられて泣かされていたり(ふぅ)、ほかの女の子の顔をほうきで掃いたとか、いろいろやっちゃっているのは知っていたけれど、話をすれば(<授業参観の図工の間、ちょいちょい話してしまった)、本当は「さみしいのかなぁ」なんて思うような、そんな感じの子だったんだけどね...。


今のクラスは、30歳前の男の先生。評判は正直、イマイチだったんだけど、やはり手を焼いているらしく...まぁ、それは仕方ないにしても、その男の子を叱る際、チョークを投げたり、机を蹴ったりするんだそうで、子どもたちの言葉を借りれば「○○くんが泣かされていた」とな。子どもの口から聞いたときにはしんじられなかったけど、どうやら本当みたいで。


そのクラスにふたりくらい、いっしょに登下校をする仲良しの友達がいて、長女もいろいろと話を聞いてくるみたいで...あんまりあれこれしゃべらない長女も「先生がそんなことをするんだよ」みたいな感じで話していました。お友達ふたりも、確かに○○くんが悪いことをするんだけど、先生もそんな注意の仕方なんだよ...と呆れている様子。


その○○くんだって、いっそういうことをきかないだろうし、今だからこそ、そういう脅し?!みたいな方法でなんとか抑えつけられているかもしれないけど...周囲の子どもたちからしても、到底尊敬できる先生ではないし。


同じ幼稚園だった母ともだちに話してみたら、「そのクラスのお母さんは何もいわないの?!」とめっちゃ驚いていました。そうだよね、わたしだって「いくらなんでもそれは大人のすることではない」と思うけれど、さすがにほかのクラスの先生にはいえないなぁ、というか。同じクラスだったら、また違った意味でいえないな、とも思うし。


なんだか幼稚園モードだったら、もっと強い反応をしていただろうけど、なんせそんな感じで小学校に行ったら、ちょっとズレた感覚の人、ってなりかねないと思っているから、自分の中で意識的に反応の「使い分け」をしているわたし。だけど、だんだんそれが「フツウ」になってしまうと、毒されているんだなぁという反省もしきり。やっぱりおかしいことはおかしい、と思う感覚をなくしてはいけないし、それを「うまく伝えるすべ」を身につけるようにすべし、というかさ。


それはわたしの課題でもあるけど、同時に、そんな学校だったりする。ほかの学校もそうなのかな??...って、いつも思います、いろいろな場面で。