本当に通えるんだろうか。

長男が昨日の朝から体調不良でお休み。今朝は熱も下がっているんだけど、偏頭痛が消えないらしく、何かの折には「うー」という感じになっている。なんやかんや、他人の思念を拾いすぎ。そこが長男のよいところでもあり、つらいところでもあり...でも、まずは母親のわたしがやたらと拾うような場面に身を置かないことが大事かなぁと。本当はそれを超越できるだけの器があればいいんだけど、それはなかなか...。


先月分の家計簿を〆る。ちょうど塾から入塾関連の書類が届いて、以前もちらっとしておいたお金の計算を詳しくやってみる。

来月初めまでに...3.5万円/来年度(新4年生)...約50万円/5年生...約80万/6年生...約100万/受験と初年度...約130万

こんだけかかる。塾だけで240万くらい、そこから6年通って、さらに大学...となるわけで。すごいなぁ...来年はともかく、再来年から先がものすごい。わかっていたことだけど、あらためてものすごくオソロシイ額...ほかのご家庭は本当にすごいなぁ...しかも、下の子も、ってなったら、どうなるんだ、いったい。


折しも、こちらの話を拝読*1して...うーん。それまでも感じていたけど「費用対効果」みたいなものを子どもに求めるのはいけない、とか、「長女に自分の果たせなかった夢を託す母なのか、自分は...。」とか、いろいろな思いが入り混じってしまった。わたし自身でさえ、今の状況で受験するかどうかを考えているのか、なんの動機なのか、はてまた、今後、自分が買いたいものを我慢してでも、子どもを受験させたいのか...よくわからなくなってきていて...やっぱり自分のできなかったことを託している、っていうのがいちばんおっきいのかなぁ...やがて見返りを求める、って道をたどるのか...ふー。不思議なほど、長男にはそういう「期待」がないし、「理想」もないんだけど...こっちもひっぱられていくんだろうかな。


さらに、こちら*2も拝読して、ふむーとうなる感じだった。わたし自身は「自己実現」って言葉は嫌いだし、ましてや「スーパーウーマン」ではないわけだから、そこの部分で「逃げ」られてほっとする部分はあるんだけど。
でも、「母親が望む通りの子ども」としてふるまう長女のことを、わたしの中でずっと気になっていることでもあってさ。手を出し口を出し、フォローしているわけではないので、期待されているけど、その実現のための努力は本人にゆだねているので、意外とたくましいのかもしれない、と、これまた「逃げ」ですけれども、その分、本当の意味での愛情なり信頼関係なりを長女との間では感じられないのではないか、少なくとも長女の中には、わたしの思いをかぎとって、「お母さんの思う通りの子どもとしてふるまっておけばいい」と思っているんじゃないのかな、ってね。かくいうわたし自身、育ての親である祖父の思惑を逆手にとって、そのようにふるまっておけばいいや、って思っていたのと同じく。ここらへんは、塾通いを決めさせた以上、長女とわたしの間でずっと「試されている」ような課題だと思います。


しかし、わたしは「仕事をあきらめた」いや、「放棄した」というか、働く能力に欠けていて、進んで専業主婦になったのですが、これから教育費の一助のために働くことを真剣に考えていて。キャリアも子どもも!という次元には到底なりえないんだろうし、お金のために働く、ってことになるんだけどね、しかも、時間的に制約もあるし、選んでなんかいられない、という部分も含め。喜んでそうしたい、という気持ちなんだけど、あらゆる思いを含んで、なんで「そこまでして受験させようとするのか」ってところに頭がガツンガツンぶつかる感じです。これは愛情なのか?はてまた...と堂々巡り。

*1:勝間和代上野千鶴子」id:font-da:20091106:1257502918&「どこにもいない「母」を求めて」id:font-da:20091110:1257857486

*2:「「母親の自己実現のために」育てられた子どもが背負う呪縛」id:p_shirokuma:20091110:p1