自宅学習、家庭学習

edu (エデュー) 2008年 02月号 [雑誌]

edu (エデュー) 2008年 02月号 [雑誌]

歯列矯正にお金がかかるから塾には行かない...というのではなくって(<しつこい(笑))、まぁ、もともとできる限り塾とかはねぇ...という感じで先延ばししたいし、できることなら行かないでいいじゃん、って思っていて、本当にわからなかったら、オカンが教えてやるさ!(いや、今となっては、本当に子どもに教えられるかは微妙かもしれないけれど)って思っていたんだけどね...。


「本当にわからなかったら」ってところがポイントだけれども、学年が上がるにつれて、習うもの習うものすべてが「本当にわからない」ってなったら、どれだけフォローできるものだか...やっぱり毎日決められた時間、勉強を見るってかなり大変だと思うし、思わず「外注」したくなるのはわかるなぁ、というオカン自身の本音もあるしさ、それに対するイイワケっぽいものもなきにしもあらずだけれど、親が子どものいろいろなことを把握しすぎる、っていうのもなんだか子どもとしては窮屈そうだよな、とも思う。


上記雑誌が、以前「塾に行かないという選択」という見出しがあって、個人的には大変心ひかれて、今回のこのタイトルにも思わず手にとってパラパラっとめくってみたのだけれど、すごくフクザツな思いで読んでしまった。自分ではどこか冷めているようなところがあるつもりでも、そういいつつもやはり、わたしにだって、この熱心さは共通するものがあるのも本当。そして、この話の後ろに「二極化」というかさ、いわゆる「格差社会」のあれこれが根っこにあってさ、ちょっと前にあった「熱心さ」だけでは済まない「社会不安」みたいなものをすごく感じてしまった。いや、いつの時代にも、親は自分の子どもができるだけ勉強ができて、できることなら...って思っていただろうけど、単純にただひたすら「なるべく上のほう」ってイメージではなく、切り捨てられる部分に入らないよう、「下」にならないよう、って感じがする。「下、とされたらおしまい」みたいな、そんなあせりみたいなものがいっそう不安をあおっている、というかさ。


で、話が少し戻るけれども、「自学自習」といっても、そこにいたるまでにかなり親がフォローしないと(よっぽどのお子さんじゃない限り)難しいのでは、と思うわけで。そこまでして、本当に子どもの学力なり成績なりを望んでいるのかなぁ...将来困るぞ、というのではなく、子どものことを思ってというかさ、なんというかねぇ。結局のところ、オカンの人生ではなく、子どもたちそれぞれの人生、でしかないじゃん、というのが冷静なわたしの意見。でも、ついねぇ...ってところがオカンとしての気持ちかなぁ...どっちがどうって答えは出せないんだけども。

プレジデント Family (ファミリー) 2008年 03月号 [雑誌]

プレジデント Family (ファミリー) 2008年 03月号 [雑誌]

これも買ってみた...って感じで(笑)。こちらは単純に学費のことが気になって、というか、「家計」全体のところから話が出ていて、大変興味深かったので、ということで。それにしても大学だけでもかなり学費がかかるんだなぁ、と思ったりして(ははは)。自分のときはいくらでしたっけ???あまり変わらない?いえいえ、20年くらい前だから、「定額スライド制」としてはかなり上がったはずだろう...という感じで。ここで学んだことってなんだったのか?なんてね、いやはや、なんというか。